最近、ふと自分のこれからの人生のことを考えたり
色んな方と人生とか、生き方の話をさせてもらう機会があった。
そんな中で
生きていく上で自分の選択を「いい選択」にしていくことが人生の中で必要なことの1つなのかなと思った。
ぼくらは日々の中で、小さいことから大きいことまで「選択」をしている。
圧倒的に覚えていない選択が多い中でも、「いい選択をした」「あの選択は失敗した」みたいなのがある。
ただ人生の先輩たちと話していて共通しているのが
「後悔したこともいい思い出として話している」こと。
なぜそうなるのか考えてみると
失敗したことをバネとして努力したり、失敗から逃げずに向き合ったり
受け止めたりして、「失敗したこと」と思っていたことをいい思い出にしていることに気が付いた。
そしてそれは”自責”の思考のもと生まれているということ。
”他責”だった場合、「失敗したこと」を環境や誰かのせいにして
バネにもしないし、向き合ったりもしないから「失敗」のままになる。
となると「失敗」とは
思い出として昇華できなかったことなのかなと。
「失敗したこと」もいい思い出にすることができた場合
その時は「失敗した」と思った選択でも、最終的にいい思い出だと言えれば
失敗は失敗じゃなくなるなと。
そしてこれは「失敗した」に限らず、悲しいことや苦しいことも同じなんじゃないかと。
中には自分で選択もしていないのに急に降りかかってくることもあるし
自分のせいだとは思えない出来事もあるという前提ではあるけども。
しかしながらそれも自分の人生の一部であるのは事実で。
事実と向き合って、自分なりにその出来事に意味づけをしたりして
受け入れていくのかなと。
結局どうしたって時は戻らないし、自分の人生の出来事として抱いていくのだろうなと思った今日この頃なのでした。