はじめの一歩

大学生になりました。自己を見つめる、周りを見つめる、そして思ったことを言葉にする一歩目のとして始めました。

理解できなくても想像したい

こんにちは。ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。

 

9月も折り返し、少しづつ秋の気配が感じられるこの頃。
僕の方は、まもなく大学の後期授業が始まります。


振り返れば、今年の夏休みも去年に続いていいものにできたなぁと思います。
怒涛の8月を乗り越えて、友人たちと急に集合して遊んだり
いつも会う人たちと旅行に行ってのんびりし、小学校からの友だちともお出かけしたりと、味わい深い時間でしたねえ。

 

みなさんどんな夏でしたか?
コロナ禍としては3回目の夏、行動制限もなく、割と動きやすかったのではないでしょうか。
2020年のあの時から、確実に世の中は現在進行形で変わっていて、さまざまな固定観念が崩れ落ちました。
僕たちは変わることを余儀なくされました。今もそれは続いているし、試行錯誤の途中でもあると思います。

 

僕自身も試行錯誤の中にありますが、一つだけこれからを生きていく上でブレずに持っていたいものを見つけました。
それが

 

「歩み寄ること」

 

 

当たり前のことだと思うじゃないですか。


でも見てくださいよ。
何か議論が起きれば、二項対立になり、譲り合うことなく泥沼になる。
マジョリティも、マイノリティも、相手の見てる世界を考えようとせず
自分の世界を相手に押し付けている。
もちろん、こんなことばかりじゃないけれど。

 

 

「理解しなくてもいいから、想像したい。」
ある映画のポスターに書かれた言葉です。
この姿勢がこれから生きていく中で大切なんじゃないかなと思っているんです。

 

歩くスピードを合わせるように、相手の生きる歩幅に合わせてみる。
ちょっと背伸びをして、相手の世界を見てみる。味わおうとする。
すなわち、相手に「歩み寄ること」。

 

相手のことを100%理解することなんてできないと思う。
だけど、想像することはできる。
手を差し伸べることもできる。
あなたがその姿勢でいれば、きっと誰かがあなたを想像し
手を差し伸べてくれる。

 

友人の趣味に乗っかってみるのも、立派な歩み寄りだと思うし
その人の生きる世界を知ることになります。
どうでもいいですが、僕は友人の趣味に乗っかるのが好きです。

 

不安定な時代だからこそ、歩み寄ることを忘れずにいたいのです。
自分の世界に見えているもの、その世界を基準にした物差しで
いいか悪いかを判断するのではなく、相手の物差し、ないしはメガネで世界をはかったり、見てみたりする。
人の数だけ、物の見え方はありますからね。

 

 

みなさんがこれから生きていく上で大切にしたいことは何ですか?