こんにちは。ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。
これ驚きましたね。
なんというか、、
無差別テロのような事件を起こしたのが17歳の高校生というのが信じられないし、残念だし、
どうしてこうなったんだろうという疑問ばかりが浮かんできます。
「事件を起こしてから死のうと思った」という供述が多く聞かれますよね。
こういう供述が伝えられると
1人で死ねばいいのに、とか
人を巻き込むな、とかいう声があがります。
まぁ言い分はわかる。
自分が被害者の家族だとしたら、そう感じるんだと思う。
だけど、それを思うのは被害者や遺族だけでいいんじゃないかな、とも思う。
たしかに被害者の方たちと同じ目線に立ち、気持ちを思うことは大切。
それが心を癒す場合もあると思うから。
だけど、全員がそうじゃいけないとも思うのです。
僕は、こういう事件が起こると
「なぜそんなことを思ったのか?」ということを考える人が一定数必要だと思います。
犯人たちがしてきたことは許されることではないし、もしかしたら一生かけても償えないものかもしれない。
だけど、1人で死ねとは思わない。
僕が皆さんに投げかけたい疑問は
「人を巻き込んでから死ぬ」と思わせてしまった社会があるのではないか
という疑問です。
17歳の高校生が、勉強がうまくいかないだけで人を巻き込んで死のうとしてるんです。
それだけそこにプレッシャーを感じ、人生が決まると思ってしまっていたんでしょう。
理由は単純でも、そこに絡む背景は複雑だと思うんです。
「あいつがキチガイなだけだ」という風に決めつけてしまうことを続ければ、同じような事件がまた起こるはずです。
寄り添える人がいれば
東大じゃなくてもいい医者はいるよ、ということを教える人がいれば
医者になるまで紆余曲折があった人の話を知っていれば
こんなことばかり思います。
むやみに犯人を責めるのもいいけど
その背景を考えてみることも
より良い社会のためには必要なはず。