こんにちは。ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。
いやぁ〜雪が積もるのは何年振りでしょうか。
降り始めた時は少しテンションが上がりましたが、積もり始めてからは明日以降のことを考えて少しテンションが下がりました。
小さい頃は、あんなにも雪が降ることを望み
積もることを喜んでいたのに。笑
子どもっていい意味で今しか見ていなくて
後のことなんて考えずに、無邪気にひたむきに目の前のことで遊び切るよなぁと。
無邪気さもそうなんですが、子どものような好奇心は失わずにいたいです。
近頃、二者択一で考えるのは効率がいいけど
沢山のことを見落とすなと感じてます。
○か×かの二者択一で教育されちゃってるから、0か100で答えを出す。
それはとても楽だけど、1から99を全く無視した方法であって、健全とは言えないと思う。
教育現場において、1人の教師にとてつもない負担が掛かっていることは重々わかってるつもりです。だけど、それは大人たちの都合でしかなくて、子どもたちに押し付けられることじゃない。
これは正解、これは不正解
曖昧なものも不正解。
○か×かで教育されてしまうと、視界はとても狭くなってしまう。
ある友人がTwitterで、「国語では作者の意図を長時間考えさせられるのに、道徳には答えがあるという謎」とツイートしてた。
道徳こそ答えがないはず。
有名な例だけど
桃太郎を鬼の子ども視点で見てみたらどうだろうか。
勝手にヒーロー気取りの男が仲間を連れてきて
自分の親や、仲間の鬼たちを殺されたってなりませんか。
こうしてみたら、本当に桃太郎はヒーローでしょうか。
鬼たちは何をした結果、桃太郎たちに退治されたのでしょうか。
これだけ聞くと、桃太郎が悪いって思うかもしれないけど、それだって分からないですよね。
どっちが○も×もないんですよ。
視点を変えたら、その数だけ物事の見え方ができるので。
教師だけじゃなく、1番子どもと関わる親たちにも、子どもたちに物事が0か100じゃないことを教えてほしい。
親の思想というのは、気付かぬうちに子どもに伝播しています。
自分の子どもが、狭い世界に生きることになるのは嫌でしょう。
世の中、目に見えていることだけが全てではない。
人の数だけ、物の見方がある。
それを同じが違うかだけで判断せず
そういう見方もあるよね、と受け止めることが
価値観を広げ、二者択一から抜ける方法じゃないかなと思うこの頃です。
では!