はじめの一歩

大学生になりました。自己を見つめる、周りを見つめる、そして思ったことを言葉にする一歩目のとして始めました。

いつから教育は評価のためになったのか

こんにちは!ゆいとです。

今日英語授業の時にzoom上で指名されたんですよね。そこで間違った答え言いまして、

全然ふつうに先生が「そこは違うよ。徐々に慣れていこうぜ。」みたいなことを英語で言ってくれたんですよ。

なのに、僕が一瞬その時何を考えたと思いますか?

「質疑応答成績に関係あるって言ってたよな。大丈夫かな。」って思ってたんですよ!!

自分でもバカでヤバイなって思いました。

 

評価されるために学んでいるわけではないのに

好きでやっているはずなのに、「評価」を気にしてしまった。

 

勉強って絶対誰かの評価のためにやるものじゃないはず。そして、間違えてナンボなはず。

だって小学校低学年の頃

みんな答えたい一心で間違えようがなんだろうが手をあげてたじゃないすか。

それがいつからか手をあげることに抵抗を感じる子が多くなり、教室が静まり返ってるんです。

そして点数で評価される結果を恐れ、成績のために勉強し始めるんです。

 

これは子どもが悪いんじゃありません。

 

そうさせてる人間が悪いんです。

評価の目でしか見てない人間

他人の失敗を嘲笑う未熟な人間のせいで

どんどんどんどん萎縮して、本来の勉強からズレていくんです。

 

僕は評価を気にして勉強してきた人間なので

これに早く気づきたかったなと思ってます。

まぁその勉強のおかげで出会えた人たちもたくさんいるので、そこはよかったと思いますが。

 

意外と高校って赤点とっても進級できるし、

やる時にやってれば卒業できちゃうので、

ちょっとやそっと失敗なんて気にするな!と

高校入りたての子たちに言いたいです。笑

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございました!

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