はじめの一歩

大学生になりました。自己を見つめる、周りを見つめる、そして思ったことを言葉にする一歩目のとして始めました。

就活思ってたほど悪くない

こんにちは!ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。

 

 

いやー11月ですね。
もう2022年もあと2か月になりました。
あっという間だな~と思ったり、まだ11月かっていう感じもしたり。
12月にはちゃんと1年の振り返りをしたいですね。

 

さて、私は今大学3年生の秋を過ごしています。
6月に就活を始めてから、5か月近くが経とうとしています。


自己分析やら、エントリーシートやら、追われるように進め
夏休みは8社くらいインターンに参加したりしていました。
気が付けば早期選考が始まり、面接を受けたりもしています。

 

こんな風に言っている私ですが、高校生の頃は
”就活なんてするもんか”と思っていました。

 

理由もこれまたしょうもなくて
みんなと同じ格好をするのがイヤだとか
ペコペコするのはいやだとか
創り笑顔したくないとか
そんな感じでした。尖ってますね。

でも、大学1年の時に第一線で活躍する社会人ばかりがいる場所に行ったとき
いろんな方に「就活をしたくないんです。」と理由もセットでお話したら
「みんなと同じ格好だけど、やってきたことが面白かったらよくない?」とか
「見た目で違いを出そうとしなくてもいいんじゃない?」とか
「以外と社会に出たら必要なスキルだったりするかもよ」などと話してもらいました。

 

当たりまえじゃんって思うけど、当時の僕にとっては衝撃だった。
「確かにそうだわ」って納得したし、今までの自分の言動が急に恥ずかしくなったことをすごくよく覚えています。

 

面倒か面倒じゃないかと言われれば、多少は面倒だなと思ってしまうけど
自分が知らなかったお仕事や業界、ビジネスマナー等々
就活をしていなかったら知らなかったこともあるわけですよ。
そう考えたら悪くないのかなとも思ったりして、なんだかんだ向き合えてる感じがしています。

 

自分が尖り気味だったことは、時期的にもしょうがないし、悪いことでもないと思う。
大事なのは、尖った仮説が覆される体験と、それを受け入れる素直さじゃないかと思うようになりました。
そんなわけで、グダグダと続けてきましたが
「就活思ってたほど悪くない」という話でした。

 

高校生の自分よ、意外と就活面白いですよ。

ストーリーとして刻む

こんにちは。ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。

 

今回書くことはめちゃめちゃ私情たっぷりだし、場合によっては気持ちを暗くさせてしまうかもしれないので、読んでくれる方は覚悟してください。笑

 

1か月前くらいでしょうか、友人の翔が夢に出てきました。

 

0210yuito.hatenablog.com

 

僕と翔の関係性をまだ知らないよって方はぜひこっちを読んでから進んでください!

 

 

数か月に一回、夢に出てきてくれるんですよね。
毎回同じように、写真と同じような笑顔で僕をハグして、また笑って目が覚める。
特に会話はないけど、彼なりに何かを伝えてくれていると僕は思ってます。
例えば、僕のすべてを肯定してくれているような。

 

僕は、自分の机の上に翔の写真を置いているので
思い出さない日はマジでないんですけど、この夢を見てからというもの
色んな事を思い出したんですよね。

 

ありがたいことに、僕は告別式で弔辞を読ませてもらいました。
散々泣きはらした後、帰りがけに友だち何人かで遅めの昼ご飯を食べて帰ったんですよね。
そのときは、なんでこんなに笑ってるんだろうってくらい楽しくて
また明日から頑張ろう的な話をして帰ったんですよ。

今思えば、みんな目の前に辛すぎる現実がある中で
自分たちなりに壁を乗り越えようと頑張ってたのかなと思ったんすよね。

 

あまりにも突然のことだったし、なかなか深い傷だったと思う。
もちろん、友だちの僕なんか比べ物にならないくらい、つらい思いをした人がいるのは分かってる。

こんなように、色んな事を思い出してはその都度悲しくなったり、
苦しくはなるんだけども、夢を見てからは
「これも自分の人生の一部だ」と思えるようになってきました。

3年経ってやっとかよって思うかもしれないけど、そこはスルーしてください。

 

自分の人生の中で起きた、忘れたくないこととして向き合って
その都度悲しくなってもいいから、自分のストーリーとして刻んでいく。
これが必要なんじゃないかと。

 

こんなことを考えさせられました。

もしかしたら翔は
僕が悩んだり、迷ったりしているときを選んで来てくれているのかもしれないですね。

 

 

長々とお付き合いしていただきありがとうございました。
では!

 

 

 

宇多田ヒカルが好きだ

こんにちは。ゆいとです。
ご無沙汰してます。

 

 

急に寒さがやってきて、もう冬か?なんて思っていたら明日は暖かいそうで。
なんだかよくわかんないですね。笑
みなさん体を労わっていきましょうね!

 

何度かこのブログで書いてるかもしれませんが
僕、高校生くらいから宇多田ヒカルさんのファンで。
好きになってからすぐBOOKOFFに行って、アルバムを揃えました。
(あと1枚だけ入手できていないので、それを見つければコンプリート…!)

 

新しいアルバムが出れば、先行予約で買っちゃうくらいそれはそれは好きなんですが、改めて彼女の魅力ってなんだろうって考えたんですよね。
曲自体のカッコよさ、インタビューなどから見える物事に対する姿勢だったり、
新曲が出るたびに、「新しさ」と「らしさ」を同時に感じさせてくれることだったり
挙げ始めたらキリがないんですが、大きな魅力の一つに「歌詞」があると思うんですよね。

 

例えば、「誰にも言わない」という曲。
”感じたくないことも感じなきゃ 何も感じられなくなるから”
めちゃクールじゃないですか。

何か人生を悟っているような感じもするのだけど、言葉の言い回しによって重く聴かせていないというか。
僕の解釈としては
生きていく中で、苦難や困難が待ち受ける場面が多くあったりする。
そこに対して逃げたり、目を逸らしたりしてもいいけど、それだとその先にある景色は見られないよという意味合いなのかなと。
(いじめとかパワハラからは逃げていいんだよ)
あるいは、対比。
きついことがあるから、いいことを喜べるんじゃないかというような。

 

例えば、「誓い」という曲。
”約束はしない そんなの誰かを喜ばすためのもの
 今言うことは 受け売りなんかじゃない 約束でもない 
 誓いだよ”

 

深い愛と1人の人間に対する純粋な想いがあるなと思います。
結婚式って誓いの言葉やキスがありますよね。
それって、誰のためでもなくて、「あなたと添い遂げますよ」ってメッセージでもあると思うんすよね。
結婚がテーマの曲ではないと思うけど、自然とイメージが出てきましたね。

 

なんか取り上げたのが比較的最近の曲になってしまいましたが
こういう考えさせられるような歌詞をサラッと歌うのも魅力の一つだなと。
また自分なりの解釈を友だちと話すのも楽しいんですよね。
考えながらお酒飲んでもいいし。

 

そんなわけでつらつらと書いてきましたが、今日はこの辺で。
では!!

 

 

 

理解できなくても想像したい

こんにちは。ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。

 

9月も折り返し、少しづつ秋の気配が感じられるこの頃。
僕の方は、まもなく大学の後期授業が始まります。


振り返れば、今年の夏休みも去年に続いていいものにできたなぁと思います。
怒涛の8月を乗り越えて、友人たちと急に集合して遊んだり
いつも会う人たちと旅行に行ってのんびりし、小学校からの友だちともお出かけしたりと、味わい深い時間でしたねえ。

 

みなさんどんな夏でしたか?
コロナ禍としては3回目の夏、行動制限もなく、割と動きやすかったのではないでしょうか。
2020年のあの時から、確実に世の中は現在進行形で変わっていて、さまざまな固定観念が崩れ落ちました。
僕たちは変わることを余儀なくされました。今もそれは続いているし、試行錯誤の途中でもあると思います。

 

僕自身も試行錯誤の中にありますが、一つだけこれからを生きていく上でブレずに持っていたいものを見つけました。
それが

 

「歩み寄ること」

 

 

当たり前のことだと思うじゃないですか。


でも見てくださいよ。
何か議論が起きれば、二項対立になり、譲り合うことなく泥沼になる。
マジョリティも、マイノリティも、相手の見てる世界を考えようとせず
自分の世界を相手に押し付けている。
もちろん、こんなことばかりじゃないけれど。

 

 

「理解しなくてもいいから、想像したい。」
ある映画のポスターに書かれた言葉です。
この姿勢がこれから生きていく中で大切なんじゃないかなと思っているんです。

 

歩くスピードを合わせるように、相手の生きる歩幅に合わせてみる。
ちょっと背伸びをして、相手の世界を見てみる。味わおうとする。
すなわち、相手に「歩み寄ること」。

 

相手のことを100%理解することなんてできないと思う。
だけど、想像することはできる。
手を差し伸べることもできる。
あなたがその姿勢でいれば、きっと誰かがあなたを想像し
手を差し伸べてくれる。

 

友人の趣味に乗っかってみるのも、立派な歩み寄りだと思うし
その人の生きる世界を知ることになります。
どうでもいいですが、僕は友人の趣味に乗っかるのが好きです。

 

不安定な時代だからこそ、歩み寄ることを忘れずにいたいのです。
自分の世界に見えているもの、その世界を基準にした物差しで
いいか悪いかを判断するのではなく、相手の物差し、ないしはメガネで世界をはかったり、見てみたりする。
人の数だけ、物の見え方はありますからね。

 

 

みなさんがこれから生きていく上で大切にしたいことは何ですか?

直近の嬉しかったこと

こんにちは。ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。

8月忙しくてきつかったですよって話を前回の記事で書き、最後のところで嬉しいことがあったと書きましたが、今回はそこの話。

 

0210yuito.hatenablog.com

 

 

僕、今月から大学2年の9月~2月までインターンをしていたところでバイトをさせてもらうことになりまして。
給料のことだったり、シフトのことだったりを決めようってことで運営しているコワーキングスペースに行ったときに、代表が「ゆいとと同じ大学で同じ学部の子がインターン応募してくれたよ」と伝えられました。
名前を聞いたら、なんと高校からの友人で。
語弊があるけど、一番予期せぬ子だったんですよ。笑

普通に仲いいし、近所なので頻繁に話すのですが
そんな素振り一切なかったし、興味がある感じもなかったので、
驚きと共に嬉しかった。
一歩踏み出してくれて、しかも自分が大好きな場所に来てくれて
一緒に働けると考えたら感慨深いなと。

興味ある感じはないって書きましたけど、実は僕がインターンしていたころ企画したイベントに何度か来てくれていたんですよね。
その時に興味を持ってくれたのか、SNSを見て何か感じたのか分かりませんが
言葉じゃなくて行動で示せたのかなと個人的には思っていて。

 

もちろんインターン中の悩みを彼に相談したりもしたけど、それ以上に自分が楽しんでいる姿を見せることができたのかなと。(ホントのところはわからないけど)
なんか嬉しかった。
自分のやってきたことが間違っていなかったと思えた。
純粋にありがとうと思いました。

 

誰かの心の何かに引っかかるように
ときどき休みながらこれからも動いていきます。

 

 

怒涛の8月

こんにちは。ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。

 

前回の記事読んでいただけたでしょうか?
ちょっとでもいいので、自分の意見を持ってみてくださいね。

 

今回は需要があるかないかは置いておいて、僕の近況報告を。

 

今9月に入りましたけど、8月は忙しかったです。
それはそれは忙しかった。
1週目は学校のテストがあり、2週目から始まった夏休み。
その中でも主に就活が忙しくて、その合間にバイトをして、ちょくちょく地元のイベント参加してetc...
忙しい自慢みたいになっちゃうけど、ホントにバタバタ。
あれ?夏休みだよね?みたいな。きっと僕だけじゃなくて、就活を始めた人はこんな感じで忙しかったと思います。

就活の中でもきつかったのが、「47インターンシップ」というもの。
エンカレッジという就活支援団体が全国に支部を抱えており、その各都道府県の参加希望者の中から代表者を1人ずつ選出し、47人と協賛企業6社で行うインターンでした。
テーマを与えられ、その課題を解決するために、協賛企業の強みを活かした企画をグループで作りましょう、みたいな。優勝、準優勝も決まりますよと。

初日は全体の説明で、比較的よくあるオンラインセミナー的だったんですが
2,3,4日目が過酷でした。。。

 

一日のスケジュール

 

 

10時開始
18時終了


です。フツーに労働でした、はい。
ずー--っとパソコンの前に張り付いて、初めましての人たちと沢山議論して企画を立て、企業の人にフィードバックをもらう。
時間が限られているので、もちろん日程外の時間や間の土日もチームメンバーとZoomを繋いで、進めては手直しの繰り返し。


深夜まで作業を続けて、2時3時に寝る。
7時半に起きて、開始の10時ギリギリまでまたミーティングをする、なんて日が木金土日と続きました。
正直逃げたかったっす。

どんどんメンバーと仲良くなることや、いい議論ができるようになった実感、企業の方に企画を褒められることで何とか気持ちを保っていました。
頑張った甲斐あって、準優勝することができて、嬉しかったんですけど
終わった安堵感のほうが大きかったです。

 

終わってみると、議論の進め方だったり、課題設定の仕方だったり、企画の作り方やメンタル面で得るものがあったなと。
他のインターンでも活きましたし。

 

この47インターン以外にも、6社くらい説明会やインターンに参加しました。
これでも少ない方らしいっすよ。就活怖いですね。
そんなこんなでバタバタでしたよ、と。

直近で嬉しいことがあり、書こうと思ったんですが長いのでこの辺で。

ポジティブな諦め

こんにちは。ゆいとです。
今日も一日お疲れ様です。

 

一昨日Facebookに投稿したんですけど、改めて考えてみようってことで書いてみます。
【直撃取材】LGBTQ「隠して生きて」幸福実現党市議発言に怒りの声 市議「差別する意図はない」 (msn.com)

 

このブログを初期の頃から読んでいる方は分かるかもしれませんが、僕は当事者意識みたいなのがあるので、目を背けられなかったという背景が前提としてあります。

 

なんとまあ驚くべきは、この発言があったのが隣町だってこと。
正直言ってガッカリしているし、「何言ってんのこの人」みたいな怒りも多少あるけれど、Facebookのほうにも書いたようにどこか諦めてもいますよと。

 

問題は大きく2つあると思っていて
1つ目がクローズアップされてますけど、「静かに生きて」って言ってること。
シンプルになぜ自分自身を隠さないといけないのか。
なぜ自分らしく生きたらいけないのか。
(もちろん、誰にも言わずに生きてもいいんすけどね。)
生き方の選択肢が絞られるのはアンフェアだと思うし、「隠す」ことを生涯続けることになってしまったら、その人の一生はとても苦しくなってしまうと思う。

 

2つ目は自分で「寛容です」って言っちゃってること。
シンプルにそれは周りが判断することだと思う。
静かに生きてって言える時点で寛容ではないし。
理解がある、寛容である、っていうのは誰でも思ってなくても言えちゃうこと。
その人の思想は行動や言動からにじみ出ますからね。

 

でも、みんながみんな理解するとも思っていないんですよね。
マジョリティに対して
「権利を認めろ」「理解しろ」って強制してしまったら、それもそれで平等性に欠けてるじゃないか、と。
権利を訴えながら、「理解できない」という人の表現の自由の権利を奪ってしまっているじゃないですか。
だから、よく思わない人一定数いると割り切って、そういう考え方もあるよね、と考えるようにしています。

 

皆さんはどう思いますか?
人によってはリアリティのない話かもしれないけど、考えてみてください。

 


ここからは余談。

僕は、公にカミングアウト的なことをすることはしません。
機会があれば、話したいと自分が思う人ならば話す、というスタンスにしています。
まだ腫れ物に触るように取り上げられる世の中なので、その時点でノーマルにはなっていないですからね。

 

では!